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2023年11月26~29日 再び伊達へ

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11月2日付の記事「故郷の廃家」でも紹介したが、これが北海道伊達市にある私の生家。
明治4年に仙台より移住した私の先祖が建てた家で、築120年を超えている。
私は19歳の時この家を離れた。
その後、この家の前半分には妹夫婦が居住、後ろ半分は父が研究品の展示などに使っていた。
父は30年前に亡くなった。
妹夫婦も一昨年、昨年と続いて亡くなり空き家となっていたので、今回はこの家の家財等の整理が目的だ。

11月初旬に「LRA」という遺品整理、清掃の会社へ依頼して一旦帰った。
今回は仕上げのための2回目の訪問だ。

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11月初旬に来た時の内部の様子。
必要なものは昨年来た時にすべて持ち出し、自分たちで処分できるものは処分したので、残っているのは不用品だけのはず。

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壁面には、開拓当時の古文書などが画鋲やセロテープで止めて貼り付けられていた。
父が生前、自分の研究品などと共に展示していたものだ。
保存状態も悪く、だいぶ傷んでおり、さほど貴重なものでもないだろうと考えていたので、「すべて廃棄物として処理してください」とお願いしてあった。

ところが、LRA社長の田澤さんから、「大変貴重なものと思われる文書などがいくつも出て来たので、親戚の大学教授に写真を送って見てもらいます。」との連絡をいただいた。
この会社の仕事はとても丁寧で、一見ゴミのようなものでも、1点、1点を丁寧の見て分類してくださったようだ。

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27日に行ってみると、ゴミ屋敷はLRAの方によって綺麗に片付けられ、古文書など貴重と判断されたものだけ纏めて置いたあった。
そして、古文書等は大学教授の方の紹介で伊達市の学芸員の方に見てもらうことになた。

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28日、急なお願いにもかかわらず、学芸員の方が早速見に来てくださった。
襖のようなものに貼り付けられた古文書を見て「これは非常に貴重なものです・・・」と目を輝かせた。
「こんな大切なものを、糊やセロテープでベタベタ貼り付けるとは・・・・、なんてことをしてくれたんだ・・・・」と言いたげな表情だった。
貼り付けたものは、すべて丁寧に剥がして修復する必要があるとのこと。

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残っていたいくつかの古文書、多くは非常に歴史的価値の高いものだったようだ。

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その他にこんなものもあった。
当時の生活を知る上では貴重なものらしい。

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古文書等はすべて、「だて歴史文化ミュージアム」へ寄付することにした。
ここには先祖伝来の甲冑なども保存されている。
伊達市の歴史の片隅に残すことが出来たのが嬉しい。
LRAさんからの配慮や指摘が無ければ捨ててしまうところでした。
本当にありがとうございました。

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今回は廃棄物運搬車の助手席にも乗った。
人生初の経験だ。
運転はLRAの田澤さんのサービス。
廃棄物の所有者が同乗することで廃棄費用が安くて済むとのこと。

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綺麗に片付いた室内。

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作業中の2日間は良いお天気に恵まれたが、帰る日は小雪。
日中の最高気温は-1度。

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29日15時10分伊達紋別発の特急北斗で帰途についた。
途中、列車が鹿と接触して急停車するというハプニング。
復旧の時間は不明とのアナウンスがあったので、新幹線に間に合わないのではないかと心配したが、19分遅れて発車。
予定通りの新幹線で帰ることが出来ました。

今回はLRAの田澤さんはじめ、一生懸命働いてくださる皆さんに接し、とても良い旅になりました。
その他、ご多忙のところを駆けつけてくださった学芸員の方など、お世話になった皆さんに感謝です。
いろいろな方との不思議なご縁を感じました。
ありがとうございました。



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2023年11月21日(火)

所用のため川越市街まで出かけたついでに、市内の観光地をぶらぶら歩いてみた。

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蔵造の街並み付近を歩いていると、「山崎美術館」の側の出た。
川越の老舗和菓子屋の「亀屋」本店の一角、蔵造りの建物の中にある美術館だ。

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以前から何度もこの付近を通ったことがあるが中へ入ったことはない。
ちょっと覗いて見ることにした。
入場料は500円。
山崎家に伝わる美術工芸品や菓子製造に使われ道具などが展示されていた。
一回り見て回ったあと、お茶と亀屋の最中をご馳走になった。

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次は喜多院へでも行こうかと歩いている途中「そば 十限無(じゅげむ)」の看板。
面白い名前だ。
丁度お昼時だったので、ここで昼食。

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天ぷらそばをいただきました。

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食後は喜多院へ。

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ちょうど菊花展をやっていた。

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色とりどりの菊花がずらりと並んでいた。

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1本の菊からこんなにたくさんの花が咲くなんて凄い!

あちこち歩いて19,457歩。
こんなに歩いたのは久しぶりだ。




2023年11月19日(日)

お天気が良かったので、伊佐沼の夕日でも見ようかと思い出かけてみた。
数年前は良く来ていた伊佐沼なのだが、だんだん回数が減り、最近は月1、2回程度になってしまい、今回は約1ヶ月ぶりだ。

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午後4時少し過ぎに到着。
太陽はだいぶ西に傾いていたがまだ明るい。
駐車場に車を止めて、夕日が良く見える場所へと歩き出した。

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ところが10分もしないうちに、太陽は遠くの森の木陰に隠れてしまった。
雲がないせいか、徐々に日が沈むというより、急に太陽が見えなくなったという感じだ。

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沼の向こう側には富士山がくっきり。
グンと近づいた感じに見えた。
この場所で、こんなにクッキリの富士山を見たのは初めてのような気がする。

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歩いて伊佐沼を一周。
夕暮れの沼で餌を取るコサギ。

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沼の反対側の夕焼け空。

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蓮田の方へ回ってみると、そこからも富士山が綺麗に見えた。
この場所で富士山を見たのは初めてだ。

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静かに暮れてゆく晩秋の伊佐沼。
良い景色が堪能できました。







2023年11月7日
郷里伊達市での用件が一段落したので、ちょっとだけ洞爺湖観光。
洞爺湖は実に久しぶりだ。
前回来たのは30年以上も前だった。

天気予報によると、大気の状態が非常に不安定で、雨や強風に注意とのこと。
小雨の中をバスで洞爺湖温泉へと出発。
私は晴れ男、目的地の着く頃には雨は止むはずだ。

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予想的中
洞爺湖に着いた時には、雨は止み青空が見えていた。
風も無い。
これぞ晴れ男のパワー。
あの天気予報は何だったんだろう?

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早速遊覧船で湖をまわることにした。
定員が709名という大型の船だ。
観光客は多くが外国人、中国の方が多いようだ。

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船上から見る洞爺湖畔。

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湖の真ん中に浮かぶ中島。
子供がまだ小さかった頃、この島で鹿にせんべいなどをあげたことを思い出した。
あれから30数年、早いものだ。
今は冬季運行で、島への上陸は出来ないとのこと。

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船を降りて湖畔周辺を散策。
紅葉が綺麗だ。

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湖畔のところどころに彫刻が立っていた。

洞爺湖のあとはバスで昭和新山へ移動。
急に雲が出て来て、あたりが暗くなり雨が降り出した。
「大気が非常に不安定」という予報が当たっていたようだ。
やはり天気予報は無視できないですね。

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バスを降りて昭和新山のふもとへ。
小雨が降り続いていて寒い。
でもこの程度なら観光に支障はない。

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目の前に見る昭和新山。
結婚した頃、義父母たちと一緒に来た思い出がある。
昭和新山は中学校の校歌の中で
「しりえは小さき新火山 獅子の如くにつくばいて 噴煙白くなびきたり」
と歌われていたのを思い出した。

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ロープウエイで有珠山山頂へ
雨に霞んで昭和新山がぼんやり見える。

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山頂の展望台から見た有珠山火口。
ここへ来た時が雨、風ともに一番強かった。
雨に霞んで展望台からの景色が良く見えなかったのが残念。

青空が見えたり、急に曇ったり、雨が降ったりの不安定なお天気だったが、一日を通してはまずまずのお天気。
予想以上の良い天気だったと言えるだろう。
無事観光を終えて夕方伊達に戻りもう1泊。

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8日、最後にもう一度墓参り、永代供養塔にもお参りして、伊達紋別発特急北斗、新幹線はやぶさを乗り継いで帰宅。

懸案の諸事項も片付き、おまけに観光もできて良い旅行になりました。
お世話になった方々に感謝。


11月2日の記事「故郷の廃家」で書いた通り、11月2日から8日まで郷里の北海道伊達市へ行ってきた。
妹夫婦の法要・納骨と、今は空家になっている私の生家の片付けが主な目的だ。
私は2日に出発したが、妻とは4日に合流、また所沢に住んでいる長男が3日に1泊で来てくれた。

11月2日、新幹線はやぶさ1号と特急北斗9号を乗り継いで北海道伊達市へ。
午後1時頃到着。
街並みを見ながらホテルへと向かう。

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良いお天気で、暖かい。
北海道は寒かろうと冬支度で来たので暑いくらいだ。
この日は特に気温が高かったようだ。
伊達市中心街の街並み。
とても美しい街なのだが、ガランとしていて人通りは殆んどない。
過疎化が進んでいるのだろうかとちょっと心配になる。

ホテルへ着いたあと、伊達市のはずれにある生家へと向かう。

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市街から高速道路入口へと続く大きな道。
遠くに有珠山や昭和新山が見える。

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その道をちょっと横に入ると視界は一変する。
すぐ近くまでは住宅地なのだが、川一本隔てたここは市街化調整区域。

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森の中のポツンと一軒家。
これが私の生家だ。
明治28年築、128年も前に建てられたものだ。
いつまでも放置するわけにいかないので、来年あたり解体しようかと考えているのだが、もったいない気もする。
私がもっと若かったら、この家を活用して何か出来たのではないだろうか、とか、古民家が好きで、この家を活用してくださる方はいないだろうか・・・などと、ついつい考えてしまう。

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薪ストーブを使っていたので、家の周辺のあちこちに大量の薪が積んである。
この薪は福祉施設へ差し上げることになり、その施設の方とお会いして打合せを済ませた。

3日、義弟の相続人の方と合流し、家の家財等の片付けについて打合せ。

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4日、午前中は少し時間があったので昨日から来ている長男と二人で「伊達歴史の杜」などを見て歩く。
歴史の杜の中にある広大な公園
紅葉が美しい。

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迎賓館(旧伊達邸)

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伊達歴史文化ミュージアム

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伊達歴史文化ミュージアムに展示されていた、伊達市開拓当時の居住地区割り当て図。
私の生家もこの地図の中に記録されていた。
このミュージアムには私の先祖が残した鎧、兜も保管されている。

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12時50分、妻が到着。
法要のため大雄寺へと向かう。

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妹夫婦の遺骨は永代供養塔へ納骨。
これで一安心。
長年2人が過ごした伊達の地で安らかに眠ってください。

長男、義弟の相続人の方とはここでお別れ。
私と妻は伊達プリンスホテルへ宿泊。

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5日 開拓当時からの先祖が眠る伊達市霊園へ

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ご先祖さまのお墓詣り。
その後、親戚宅を訪問。

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ホテルの窓から見た有珠山と昭和新山。
6日には、今回の目的の諸案件を一通り終えたので、明日7日は、ちょっとだけ観光でもしようかと、洞爺湖へ行ってみることにした。
(ここからは次回の記事へ)